解体されたデータを楽しむプラクティス

文:佐野和哉

「擬似相関」という言葉がある。Wikipediaには「2つの事象に因果関係がないのに、見えない要因(潜伏変数)によって因果関係があるかのように推測されること」と書いてある。

spurious correlations」は、同じ形をした全く関係のないグラフが表示される、10年以上前からある有名なウェブサイトである。そこには「相関は因果関係ではない」と書いてある。最近はご丁寧に、2つの事象を無理やりつなげるストーリーとビジュアルをAIで生成している。事実の接触、衝突事故である。

今回の展示「立体交差」は、「擬似相関」にとてもよく似ているが、すこし違っている。今回の展示は文字通り「立体交差」している。同じ場所に差し掛かったとき、お互いの姿は確認できるが、無関係なまま通り過ぎてゆく。構造が、事実の接触を否定しているのだ。「人生は物語ではないし、世界は地図ではない」という、今回の展示によせた岡さんの文章がとても印象に残っている。科学は事実を明らかにするが、事実は往々にして「可能性の否定」である。

接点の生まれる可能性を否定した先に、岡さんが見出そうとしているものは何か。それは「多様な解釈の余地を残し、関係性の余地を残す」ことなのではないか。極端な物言いに、極端でも恣意的でも「ない」方法で立ち向かおうとする、極めて科学的なスタンス。接触しないことで、いつか接触する可能性を残す。環境が変われば人間は変わる。そのときにまた出会うための「立体交差」。

“I’m Feeling Lucky”ではたどり着けなくなってしまった時代に、解体されたデータに楽しみを見出すプラクティス。可能性を手放しながら、いつかの接触を夢見て自分の歩みを進めることが、これからの私たちのなにかにつながるかもしれないし、つながらないかもしれない。

(それでも生きていくしかないんだとすればね!)